2015年07月08日

被災地ボランティア.3

こんにちは!!
昨日は、七夕でしたが、八王子は雨でしたね

2回にわたって報告してきた被災地ボランティアも今回で最後の報告になります。
今回は活動2日目です。
【2日目】
活動2日目は、石巻市内の小学校の花壇造りを手伝いました。
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津波によって多くの土地が海水に覆われたため、土壌に塩分が残ってしまう塩害が発生しました。
ほとんどの作物は塩分の多い土地では生育することができず枯れてしまいます。
そのためこれまで育てていた米や野菜などを植えるためには塩分を取り除かなければなりません。
震災直後、初めてこの花壇の整備をしたときには、重機を使って土を全部入れ替えたそうです。
しかも、ただ山から土を削って持ってきても山の土は養分が乏しいため、西日本の方から土を買って持ってきたらしいです。
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今回はボランティアや地元の方々が手間をかけて復活した花壇に地元の小学生が花を植える授業があるそうなので、手入れの手伝いでした。スコップや耕耘機で掘り返したり。きれいな花が咲いて小学生たちが喜んでくれたらいいですね。

活動後は、石巻市の隣の町である女川町に行ってきました。
女川町は最近JR女川駅が完成したことでニュースになっていました。
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確かに本当に駅?というくらい良い木目の美しい駅がありました。なんと二階は温泉があるとのこと!!アクセスも震災前よりよくなってJRは復活したそうです。
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女川町は周辺の町々に比べると比較的復興が進んでいるという事で、東北の復興モデル都市とされています。また、震災を受けて震災に強いまちづくりを目指し、都市計画に沿って新しいまちづくりを進めています。
しかし、実際は駅とその周りの広場が整備されているだけで、まだまだ店などはこれから、駅の二階から見れば周りはまだ更地が多く、土地のかさ上げ工事があと何年かかかるそうです。
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女川町は、太平洋に面した宮城県の東端、牡鹿半島の基部、根元の分部に位置する町です。
そのため、地形的に津波が大きくなって到達しました。最大で14,8mの津波が到達したそうです。
駅の近くの10mくらいある高台から海や下の方を眺めてみましたが、この高台すら飲み込むような巨大な津波が襲い、全て飲み込んでしまったことを聞き、津波の恐ろしさを実感しました。一瞬で沖のまで流されてしまうそうで、話によると流されていく人を見ていることしかできなかったそうです。

駅の近くの女川町立病院に震災についてのモニュメントがいくつかありました。
その中で印象に残ったものとして「千年後の命を守るために」という石のモニュメントがありました。
女川中学校の詩が刻まれていて、この高さまで津波が来たから、もっと逃げてくださいということを伝えるためのものでした。
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震災後町内を調査したところ、津波が到達した場所の近くに多くの石碑があったそうです。
これは昔女川町が津波に襲われたことを示しています。
昔の人も津波の脅威を目の当たりにして、後世に教訓を伝えなければと刻んだのでしょう。

近所の史跡や神社の石碑など普段注目しないものかもしれませんが、昔の人々が未来に向けて孫やひ孫らの安寧を願って刻んだことを思うと、今あまりにも無関心であることが申し訳なく感じました。
この石碑も千年後も津波がここまで来たことを伝えられるように丈夫な石を使って津波が来た高さに設置されているそうです。
津波の脅威を風化させずに伝えていくことの重要性や祖先の人々が伝えようとしてくれたことへの感謝を感じた一日でした。
posted by コネクト at 09:05| Comment(2) | 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
写真が多用されていて記事が読みやすいですね!

被災地の復興を心よりお祈りしています。
Posted by げきおちくん at 2015年07月08日 09:27
津波の被害は本当に大変だったんですね涙ぽろり
被災地の復興と被災された方々の笑顔が戻るのを心よりお祈りいたします。
Posted by 侍青 at 2015年07月21日 00:08
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